最近の若者

こんにちは、こんばんはどうもたろうです。

 

今回は最近の若者について。

 

たろうも23歳、まだまだしっかり最近の若者と自覚しておりますが、なんとなーく周りよりは大人かなと感じております。ただいろんなことに冷めてしまってるだけかも(笑)コロナが始まってから余計感じてます。自粛って言われてる中、高校や大学の同級生はガンガン遊びに行ってたけど自分はじっと家にこもりっぱなし。たしかにうらやましかったけど、去年はそれよりもコロナにかからんように家でじっとしとくほうがいいと思ってましたからね。

 

で今年に入り、1年間、学校の通学以外ほぼ動かずにいたのでさすがに筋肉の落ち方がひどいと思い、浪人時代の趣味だった山登りを再開。京都は観光地ということもあり、下山してすぐのところに有名な映えスポットと言われるものがあったりします。

 

さて、ここからが今回の記事の本題です。

 

少し前の記事で大文字に登りに行ったことを書きました。実はその帰りに蹴上のインクラインのところに寄ったのですが、全員大学生か高校生くらい。で、みんな自分たちの写真ばっかり撮って。そのまま帰る。はっきり言ってまじでなにしに来たん?写真撮るためだけならそんなわざわざこんでいいし、なんか承認欲求強すぎひん?としか思えませんでした。

 

山登りをして山頂につくたびに私は写真を撮ります。きれいな景色を写真に残して、あとで見返したいから。でも結局、毎回肉眼で見てるような隅々まで映るきれいな景色が撮れなくて、ああやっぱり肉眼じゃないとあかんなと悟ります。でもそのキレイじゃない写真も、肉眼に映したあの景色を思い起こすきっかけになってくれるので素晴らしいのです。でもこれも写真できれいに撮るのを諦めて、しっかりと目に焼きつけたおかげ。目に焼きつかなかった景色は写真を見ても思い出せません。

 

だから写真もほんまに大事やけど、それ以上に自分の目でその場の景色をしっかり見て、焼きつけることがなによりも大事ちゃうかなと思います。

 

それに結局写真のデータなんかボタン1つで消せる単純なものです。目で見て焼きついた記憶はなかなか自分の思いで消せるものではありません。なぜかそういうところにも面白さというものを感じてしまって、やっぱりカメラより目やんなぁと思ったりもします。

 

脱線してしまいましたが、記憶に残すというのが目的であるならカメラは数枚にしといて、自分の目にしっかり焼きつけてほしいなと思います。

 

一番大事なことはなにかってことを考えてどうするのがベストなのか決めてほしいなと思います。これが今回、1番伝えたかったこと!

 

では!