受験勉強がつながる先は?

こんにちは、こんばんはどうもたろうです。

 

受験勉強のつながる先は?というテーマで今回は書きたいと思います。

 

受験勉強はなんのためにするのだろう。高校生のおり、受験勉強という言葉を聞いてそんな疑問を何度も感じました。勉強をしたこともなくほとんどなにも考えずに生きてきた自分が出した答えは、いい大学に入り、良い会社に就職あるいは国家試験を取得できる大学に行き、高収入を得て裕福な生活を送るためというもの。正直今でもこの考えは間違ってないと思っています。

 

最近では学歴は関係ないなんて言葉を耳にしますがそんなことを言っておられるのは申し訳ないですが高学歴ではない方がほとんどです。でもそれが本当なら大学なんてどこに入っても変わらないし、そうなれば東大だってもっとレベルは下がりそうとは思いませんか。なのにどの大学も少しの変動はあってもあまり差は変わらない。要するにまだ学歴が就職の判断材料に利用されているからということではないでしょうか。

 

3年ほど前に先輩からおもしろい話を聞かせてもらいました。「今まで厳しい学歴社会をくぐり抜けてきたおじいさんやおじさんたちが突然学歴は関係ない!なんて自分たちの地位が揺らぐかもしれないことをすると思いますか?あまり考えられませんよね」という話です。

 

もちろん時代は進み、何かに特化した人は正当に評価されるようになって来たと思います。現に医学部でも何かに秀でた人を積極的に受け入れる動きが見られます。ですがそれはかなり何かに特化した人間でなければ厳しいのです。それに何かに秀でた人間になるにはそんな1年や2年頑張ったところでどうにもなりません。

 

だからこれまでの努力の積み重ねが如実に反映される学歴を受験勉強をすることで掴み取り、少しでも正当に評価される(何かに秀でるのを評価するのは基本的に面接官の主観が入りますが学歴は基本的に客観的に評価されるでしょう)ために自分が何かに特化していないと思う人は、受験勉強に打ち込むのが最善ではないでしょうか。

 

さて、以上はごく一般的に言われるような意見でした。以降は私自身が大学生になって受験勉強がどういうところで生きているかあるいは活かされているかを感じた点について述べようと思います。

 

まず1番影響しているのは普段の大学の勉強です。これは間違いなく受験勉強での経験が活かされています。とくに理系の人は大学で学ぶ知識というのは基本的に受験勉強での知識を最低限ベースに持っているという前提で授業が行われていると思います。たしかに大学ではその知識をもとにさらに難しい内容を学ぶわけですがそこで躓いたときにこそ受験勉強での経験が活かせると感じています。

 

たとえば、よくわからない問題にぶち当たったとします。受験勉強ではよく、とりあえずわからないときは飛ばして次に進み、しばらくして戻ってくる。そうすると全体像が見え、自然と解けるようになっていたり。あるいは簡単な例に帰着させ、単純にして考えてみるなど。勉強で得た知識そのものではなく、勉強の仕方、難問の対応方法など受験勉強から学んだ手法をフルに活用してるなというのを大学の勉強では感じています。

 

また勉強以外でもそうです。普段の生活で、いかにしないといけないことを効率的に済ませるか。受験勉強で計画を立てとにかくそれを終わらせることを練習したおかげで今ではとくになにも考えずにこなすことが出来ています。

 

ここまでにあげた例はほんとうにごくわずかであり、さらに挙げるとキリがありません。それくらい実は受験勉強で得たものというのは大きなものだったんだと改めて文に書き起こすと感じます。

 

今回のテーマは受験勉強のつながる先というテーマで少し脱線しますが、日々の生活で感じたことなどを手帳の隅にでもいいので書き残しておくこともいいかもしれません。北予備の寮では毎日400字の寮生日誌というものを書くことが義務となっていました。しんどかったけれどそれが今となってはいいことだったと痛感しています。是非みなさんも実践してみてください!

 

では。